陸軍中将 山崎 保代
北海守備第二地区隊
昭和18年5月29日
アリューシャン列島 アッツ島にて戦死
山梨県出身
玉手箱帰る時まで保管されたし
栄子へ遺す言葉
一、部隊の長として遠く不毛に入り、骨を北海の戦野に埋め米英撃滅の礎石となる。
真に本懐なり、況や、護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。
一、思い遺すこと更になし、結婚以来ここに三十年良く孝貞の道を尽くし内助の功深く感謝す。
子等には賢母、私には良妻、そして終始変わらざる愛人なりき。
衷心より満足す。
一、健康に留意し老後を養い、子供達は勿論、孫共の世話までせられたし。
保之 保久 和子 正子へ遺す言葉
一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。
一、兄弟姉妹互いに協力し、元気に愉快に活動しなさい。
一、母に孝養を尽くすことが、父の霊に対する何よりの供養と存ぜられたし。