2021/12/18

あの人の言の葉 的場 裕

 陸軍兵長 的場裕

 昭和18年8月6日
 ソロモン諸島コロンバカラ島
 西北方約100キロメートル海上にて戦死
 香川県綾歌郡綾川町陶出身 29歳


 こくみんがくかうの いちねんせい げんきで
 べんきやう するんだよ

 みなみのうみは きれいです
 さんごのはやしが きれいだよ

 こかげは すずしいよ
 つばめが すいすい とんでゆく

 よしこが がくかうへ ゆくころは
 つばめが ないちへ かへるだろ

 ちいさい のぶこや たかよしと
 なかよく あそんで やるんだよ

 よしこさんへ

2021/11/30

あの人の言の葉 菅谷 寛一

 海軍軍属 菅谷 寛一

 昭和19年9月24日
 マーシャル諸島マロエラップ島にて戦死
 東京都港区飯倉出身 45歳


 暫く御無沙汰して居るが、皆変わった事もなく達者で居られるが、今後とも丈夫で居てくれる様祈る。
 御身一人で大変であるが多嬉子の一身上は何から何まで一切取きってやってくれる様頼む。
 多忙の為どちらへも御無沙汰して居るが田舎の兄の方へも宜しく伝言してくれる様に、何程の事もなかろうが兄と相談の上何事もやれ。

 多嬉子、御前様も体を丈夫にする様心がけ、何時も明朗に、母上に従い孝養してくれ。
 母は絶対の物と知れ。
 少し不満がましき行いすべからず。
 堅く禁ず。女らしくあれ。

 次に貯金通帳の番号を知らせる。
 軍事郵便貯金通帳艦いか二五一二八号で六百三十五円ある。

 中野区鷺宮一丁目四十四番地早野幽香子様より慰問袋を頂いた。
 礼状は出してあるが、届かないだろうと思う。
 その時の人形は何時も胸に付けて居る。
 私は非常に嬉しかった。
 その事を御身から御礼の手紙を差し上げてくれ。

 この際何事も書きたいと思うが、何も書けない。
 長い間有難う、これで御免。
 さようなら、さようなら

2021/11/03

あの人の言の葉 角 光男

 陸軍兵長 角 光男

 昭和20年3月17日
 硫黄島にて戦死
 熊本県宇土市石小路町出身 33歳

 戦地から愛児への手紙


 はいけい、あけみ、けいこさん、おしょうがつはすぐですね。
 おてがみたしかにうけとりました。

 そのご、みんなおげんきでなによりとよろこんでおります。
 おとうさんも、まいにちげんきで、みくにのためにはたらいております。

 かきもたくさんなったようですね。
 そしてあかくうれたかきをおとうさんにそなえたそうですね。
 ひじょうにおいしかったですよ。

 けいこさん、けいこさんもことしは、ようちえんで、らいねんの四月はこくみんがっこうの一年生ですね。
 うれしいでしょう。

 あけみ、けいこさん!
 おじいさん、おばあさん、おかあちゃんによろしく。

 またおたよりまっております。
 さようなら

 昭和十九年十二月十七日  角 光男

2021/10/23

あの人の言の葉 松野 常夫

 陸軍伍長 松野 常夫

 昭和19年12月6日
 レイテ島ブロウェンにて戦死
 岩手県紫波町上平沢出身 24歳


 お父様へ

 懐かしの日向を後に
 空征く我は
 君の為
 大和島根の
 桜と散らん

 歌ではありません唯、常夫の心に浮かんだまま書きました。

 お父さんも お母さんも お元気で、長生きして下さい。
 兄さん、皆さんをお願いします。
 雪子や昭子も、信子や武史を可愛がってやれよ。
 常ちゃんは元気で行くからね。
 これから遺骨なんて洒落た「モノ」は帰らないと思いますから、何か常夫の遺品一つ満州へ送って下さい。
 満州の土になりますから…。

 常夫の戦死の公報が入ったら煙草を一本火をつけて立てて下さい。
 お願いします。

 では常夫は元気で行きます。
 皆さん、さようなら

 十月二十六日 佐世保にて  常夫

2021/10/13

あの人の言の葉 寺本 隆

 海軍水兵長 寺本 隆

 昭和20年5月20日
 ミンダナオ島にて戦死
 千葉県安房郡鋸南町保田出身 35歳


 大東亜戦も二年有半、我に御召有り、喜んで征途につく、出征後は無き者と思え。
 かねての貯金は子供等の教育にせよ。
 御前も長い間御苦労であった。
 憎むべき米、英に最後の突撃は正しく来る。
 はるか皇居を拝しつつ戦死す。

 出征後は皆様の御世話になると思う、宜敷依頼せよ。
 且又自分でもやれ。

 彰ちゃん、紀美ちゃん
 お母さんの言う事を良くきけ。
 お父さんは居なくてもお前たちのことは良くわかる。

 今後共子供の教育を依頼す。
 そして天皇陛下の御為に尽くす様、万事くれぐれも頼む。

 昭和十八年六月九日  主人より

 勝子殿へ
 南方へ出撃す、後は頼む、
 逢えると思ったが、防諜上出来ず、
 皆様によろしく、御機嫌よう。  横浜にて

2021/09/23

あの人の言の葉 吉田 勝

 海軍上等水兵 吉田 勝

 昭和19年8月10日
 マリアナ諸島方面にて戦死
 東京都北区田端出身 36歳


 明子ちゃん、大変におりこうさんに、なったそうですね。

 お父さんは、よろこんでいます。

 よく通子とも遊んでやるとの事。

 おぢいさん、おばあさん、お母さんの云うことをよくきいて、ますます良い子になって下さい。

 お父さんも、ここから元気に、へいたいさんになって、見ています。

 塗絵たいへんよくできました。

 もっともっとかいて、なにかひとりで、かいて下さい。

 自分のなまえかけますか。

 まだむりですか。

 また、おもしろいはなしを、たくさんきかせてあげます。

 通子、順子にもよろしく。

 さよなら  父より

 明子ちゃん

2021/09/12

あの人の言の葉 都所 静世

 海軍少佐 都所 静世

 回天特別攻撃隊
 昭和20年1月12日
 ウルシー海域にて戦死
 群馬県吾妻郡東吾妻町原町出身 21歳


 蒸し風呂の中に居るようで、何をやるのも億劫なのですけれど、優しい姉上様のお姿を偲びつつ最後にもう一度筆を執ります。

 三十日の一七〇〇、豊後水道通過、迫り来る暮色に消え行く故国の山々へ最後の決別をした時、真に感慨無量でした。
 日本の国というものが、これほど神々しく見えたことはありませんでした。
 神州断じて護らざるべからずの感を一入深くしました。

 姉上様の面影がちらっと脳裏をかすめ、もう一度お会いしたかったと心のどこかで思いましたが、いやこれも私心、大義の前の小さな私事、必ず思うまいと決心しました。

 艦内で作戦電報を読むにつけても、この戦はまだまだ容易なことではないように思われます。
 若い者がまだどしどし死ななければ完遂は遠いことでしょう。

 生意気のようですが、無に近い境地です。
 攻撃決行の日は日一日と迫って参りますが別に急ぐでもなく平常です。
 太陽に当たらないのでだんだん食欲も無く、肌が白くなってきました。

 今、六日の〇二四五分なのですが、一体午前の二時四十五分やら、午後の二時四十五分やらとにかく時の観念はなくなります。

 姉上様、もうお休みのことでしょうね、今総員配置につけがありました。
 ではさようならします。
 姉上様の末永く御幸福であります様、南海の中よりお祈り申し上げます。

 一月六日  静世

2021/08/26

あの人の言の葉 宮崎 勝

 海軍少尉 宮崎 勝

 神風特別攻撃隊 第5神剣隊
 昭和20年5月4日
 沖縄沖にて戦死
 三重県松阪市日野町出身 19歳


 やすこちゃん、とっこうたいのにいさんは しらないだろう。
 にいさんも やすこちゃんは しらないよ。

 まいにち、くうしゅうで こわいだろう。
 にいさんが かたきを うってやるから、でかいぼかんにたいあたりするよ。

 そのときは ふみこちゃんと、ごうちんごうちんをうたって、にいさんをよろこばせてよ。

2021/08/15

あの人の言の葉 小川 清

 海軍中尉 小川 清

 神風特別攻撃隊 第7昭和隊
 昭和20年5月11日
 南西諸島方面にて戦死
 群馬県出身 24歳


 父母上様

 お父さんお母さん。
 清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。
 思えば二十有余年の間、父母のお手の中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。
 全く自分程幸福な生活をすごした者は外に無いと信じ、この御恩を君と父に返す覚悟です。
 
 あの悠々たる白雲の間を越えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。
 生と死と何れの考えも浮かびません。
 人は一度は死するもの、悠久の大義に生きる光栄の日は今を残してありません。

 父母上様もこの私の為に喜んで下さい。

 殊に母上様には御健康に注意なされお暮らし下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。
 清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。

 清は微笑んで征きます。
 出撃の日も、そして永遠に。 

2021/07/30

あの人の言の葉 外山 維良

 海軍飛行兵曹長 外山 維良

 正規空母「飛龍」
 昭和16年12月8日
 ハワイ付近にて戦死
 福岡県出身 20歳

 
 もしも私の死後 この手帳を手にされる事がありましたら その時は初陣に臨むに当たってこんな気持ちを持っていたと御想像下さい。

 飛龍に来て最初に艦長に接した時より この人の下ならば死んでも構わないと思った。
 つまり俗に言う一目見て艦長に惚れたのです。
 それで艦長より訓示がある時は一生懸命できいたものです。
 しかし今日の訓練の訓示ほど 私の身内を引き締まらせたものはありませんでした。
 今日の話を聞いている中にいよいよ自分は死地に向かうのだと思いました。

 そう思うと過去のことがあれやこれやと次から次に浮かび上がっては消え 消えては浮かび上がって来ました。
 中でも何度も何度も浮かび上がって来るのは やはり故郷のことでした。
 今頃父様、母様はどうして居られるだろうか。
 父様の足は大分よくなったとは云って居られたが。
 母様の口の神経痛はどうだろうなど。
 そして子供の時よく登ったハゼの老木、池、カラスの巣をとったりした裏の森なども浮いて来ました。

2021/07/16

あの人の言の葉 海野 馬一

 陸軍少佐 海野 馬一

 歩兵第五十四連隊
 昭和23年4月3日
 ボルネオ島にて法務死
 岡山県出身


 愛児へ

 児等よ嘆ずることなかれ。
 父の死は決して汝等を不幸にはしない。
 汝等は父の死によって何でもよいから一つの教訓を得よ。
 他の人の得ることの出来ぬ教訓を得よ。
 そして立派な人間となれ。

 汝等よ。
 汝等の母は日本一の母なることを汝等に告げる自信あり。
 母の言をよく守れ。
 母の言は即ち父の言だ。

 和幸君 瑞子様 誠子様 仲よくよき母の許にてよく勉強して立派な人となれ。
 人間は何も高位高官の人となる義務はない。
 国家のため人のためになる人になるのが人間の義務だ。

 和幸君よ 父は汝に将来如何なる職業に進めと云う権能はない。
 又汝の性格も判らぬから申さぬ。

 しかし弱きを助けるのが男だ。
 父は軍隊生活中この気概を持してやって来た。
 「弱きを助ける人となれ」 これが父の言葉だ。
 汝未だ五才と雖も父の言を忘るる勿れ。

 瑞子様はお姉様だから父の心がよく判るであろう。
 和幸や誠子が成長するに従い父の心を伝えて下さい。

2021/06/29

あの人の言の葉 市島 保男

 海軍大尉 市島 保男

 神風特別攻撃隊 第五昭和隊
 昭和20年4月29日
 沖縄県東南沖にて戦死
 東京都出身 23歳


 ただ命を待つだけの軽い気持ちである。
 隣の室で「誰か故郷を想わざる」をオルガンで弾いている者がある。
 平和な南国の雰囲気である。
 徒然なるままに蓮華摘みに出掛けたが、今は捧げる人もなし。
 梨の花とともに包み、僅かに思い出をしのぶ。

 夕闇の中を入浴に行く。
 隣の室では酒を飲んで騒いでいるが、それもまたよし。
 俺は死するまで静かな気持ちでいたい。

 人間は死するまで精進し続けるべきだ。
 ましてや大和魂を代表するわれわれ特攻隊員である。
 その名に恥じない行動を最後まで堅持したい。

 俺は、自己の人生は、人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んできたと信じている。
 精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私を囲んでいた人々の美しい愛情のおかげであった。
 今限りなく美しい祖国に、わが清き生命を捧げ得ることに大きな誇りと喜びを感じる。 

2021/06/13

あの人の言の葉 河野 宗爾

 陸軍伍長 河野 宗爾

 昭和19年12月16日
 レイテ島西方海域 美濃丸にて戦死
 山口県美祢市大嶺町出身 23歳

 
 御面会も出来ず、出発すること、何だか淋しい気持ちです。

 にっこりと笑って戦友に見送られて行きます。
 生還を期せずして出て征くにあたり、心から今までの御高恩を謝し、母上四十年間のご苦労に何等お報い出来なかった事を深くお詫び申し上げます。

 今お別れするに当たり唯一の頼みは、どうか長生きせられて、私の遺骨はお母さんの胸に抱かれて無言の凱旋をすることが、私の願いであります。
 決して生きて還ると言うようなことは思って下さいますな。
 それほど今の日本は急迫しているのです。

 静かにペンを執って書く時、何時となく涙ぐんでくる。
 母上のこれからの苦労を思えば泣けて参ります。

 お笑い下さいますな。
 門徒の方にも、自分は元気で征った。
 命を国に捧げる喜びを如実に体験せんとする自分の心は平静である。
 宜しく、よろしく、皆様にお伝え下さいませ。

2021/05/31

あの人の言の葉 黒沢 次男

 中支派遣参謀部嘱託 黒沢 次男

 昭和22年8月12日
 上海にて法務死
 栃木県大田原市出身 34歳


 夕暮れが来ると私は今日だけはやっと死なずに居たと思う。
 そして宵闇が迫る頃は明日の心構えをせねばならない。
 朝が来ると着ているものを全部取り替えて素裸になって冷水で体を拭き清潔なものを身につける。
 洗面と同時に洗濯、さあ今日は来るかと、机に向かってうわ言集を書く。歌を作る。
 そして昼まであと二、三時間ある。
 そして夕方を迎える。

 こんな張り詰めた生活、満月に引き絞った様な心の緊張を保ちながら送る一日、私は幾日、幾十日、この生活を続けなければならないのだろう。
 一日、一日の集積が人生であるとは言え。

 この一瞬一瞬を積みて一日として生きている現在、この瞬間瞬間を刻む秒は私の生命に食い入って行く。
 恐らく死の陰惨さのみに心を注いでいなくてはならないとしたら発狂してしまうだろう。
 永遠の沈黙のみに戦慄しているならば窒息してしまうだろう。
 恐れてはならない。
 戦慄してはならない。
 目先の現象にも心患わして迷う心。
 
 見よ、十万年前の夕空もきっとこんなに美しくあったろう。
 百年前の雲もきっとこんなに輝かしかったろう。
 瞬く星、美しき月、可憐な虫の音、自然は我には少しも関わりはない。

 泡沫の人生に悲しみ歎きて永遠を見得ざる我、この室に挿された梔子の花とてやがては散る。
 然れども来る夏には再び花を開きて芳香を放つであろう。
 昨夜のけらは死んでしまうかも知れないが新しいけらがまた昨夜と同じようにまた鳴いてくれるであろう。
 我ら人間とて永遠に絶える事はあるまい。
 再生を信じよう。
 新生を信じよう。
 理論も理屈もいらない。

 この小さな梔子の花の美しい生命と、この毎晩鳴いてくれるけらの生命の根底が分かるまでは、人が生まれてくる生命の神秘が実証されるまでは、私は無条件で再生を信ずるより外はない。
 これを否定する何ものもない。
 息詰まるような苦しみはただ生の欲求がなせる業だ。

 何番何番と、死の伝令の呼び出しが来れば、私は静かに再生の第一歩をこの監房の扉より踏み出すであろう。
 その時は、絶対感のみが支配する。

2021/05/18

あの人の言の葉 佐藤 武一

 陸軍軍曹 佐藤 武一

 歩兵第二十二連隊
 昭和20年4月10日
 沖縄本島幸地にて戦死
 北海道八雲町出身 23歳


 戦後、母・ナミさんから武一さんへの手紙と贈り物

 武一よ。貴男は本当に偉かった。
 二十三歳の若さで家を出て征く時、今度逢う時は靖国神社に来て下さいと。
 雄々しく笑って征った貴男だった。
 どんなにきびしく苦しい戦いであっただろうか。
 沖縄の激戦で逝ってしまった貴男……。

 年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。
 日本男子と産れ、妻も娶らず逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。

 今日ここに、日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。
 
 私も八十四歳になりましたので、元気で居りましたなら又逢いに来ますよ。
 どうか安らかに眠って下さい。
 ありがとう。

 昭和五十七年三月二十八日  母 ナミ

2021/04/30

あの人の言の葉 酒井 隆

 陸軍中将 酒井 隆

 昭和21年9月13日
 南京にて法務死
 東京都港区南青山出身 59歳


 ラジオでおききでしょうが、戦犯として今日決定します。
 これによって中、日がまことの道を歩くこととなり、日本を侵略と言わないですむ道になれば、私の本願です。

 好きな中国で死んで、私は喜んで逝きます。

 子供達の教育の金もないかと案じます。
 インフレの中に何もかも妻に一任して私はこんな所で死ぬ、まことに申し訳ありません。

 遺骨があればその一部を分骨して原村の父母の山林か墓前のところに土饅頭でもこしらえてお埋め下さい。
 墓石なんかいらぬ。

 あと二、三日の死を待つのも仕方ない。
 いやなものだ。
 静かに故人の幾人かが遭遇した天命をたどるのだ。
 所見も感想もなるべく考えない。書くまい。
 手近の人々を考えるよりか、本を読み、歴史を読み、おもむろに人生を去る。
 その時まで勉強するのだ。
 洗濯をし、着物も整理する。

 もう二度と行けないと思うと残り惜しいが、死ねば心はすぐ日本へかえる。
 いつでも刑にかけてと祈る。
 何時までも牢屋に生きるよりか、放たれた日本の空に、我は祖国の礎となる。

 大好きな日本。
 私は空飛ぶ姿でかえる。

2021/04/14

あの人の言の葉 加藤 虎男

 陸軍少尉 加藤 虎男

 昭和20年5月4日
 沖縄方面にて戦死
 東京都目黒区駒場出身 20歳


 お母さん
 大元気で、でっかい奴を沈めます。

 御祖母様
 お元気にお暮らし下さい。
 小学校に通って居た頃、滑り台より落ちて祖母さまに手当てして頂いた事を思い出しました。
 虎男は立派に働いて死にます。

 功兄、麗子へ
 元気で暮らして下さい。
 必ず命中します。
 自分の居なくなった後は、兄さんと麗子だけがお母さんの世話が出来るのだ。
 麗子、お母さんには心配を掛けるなよ。

 何を惜しまん 君が御楯となれる我は
 五尺の身 粉々になるとも

 第一〇九振武隊 加藤虎男

2021/03/29

あの人の言の葉 高瀬 丁

 海軍少尉 高瀬 丁

 神風特別攻撃隊 神雷部隊 第九建武隊
 昭和20年4月29日
 沖縄本島東方海上にて戦死
 北海道釧路市城山町出身 20歳


 御恵み深き父母上様、聖戦に参加せんとして愛機に搭乗する前に書します。
 この世に生を享けて拾幾星霜、夏の日も冬の日も慈しみ励まし日本男児にお育て下さいました。

 父母上様、何一つとして御恩に報いませんでしたが、大日本帝国軍人として大君に命を捧げて皇国のため散って逝く、私を孝行者と言って下さい。

 決してお嘆き下さいますな。
 私は幸福でした。

 私は最後の最後まで御教訓に背きませんでした。
 そして晴々とした気持ちで祖先の御前に行けます。
 ただ一つ残念なのは御高恩に報いられなかった事のみです。

 父母上様、父母上様よ、お姿を心に秘め御名を心で叫びながら散ります。
 父母上様さようなら、さようなら。

 父母上様へ
 二伸
 一、吾に金銭貸借なし
 一、吾に婦女子関係なし
 一、吾に罪なし

2021/03/12

あの人の言の葉 佐藤 源治

 陸軍曹長 佐藤 源治

 昭和23年9月22日
 ジャカルタにて法務死
 岩手県出身 32歳


 僕は唱歌が下手でした

 僕は唱歌が下手でした
 通信簿の乙一つ
 いまいましさに 人知れず
 お稽古すると 母さんが
 優しく教えてくれました

 きょうだいみんな 下手でした
 僕も 弟も 妹も
 唱歌の時間は 泣きながら
 歌へば皆も 先生も
 笑って「止め」と言いました

 故郷を出てから十二年
 冷たい風の 獄の窓
 虫の音聞いて 月を見て
 母さん恋しと 歌ったら
 皆が 泣いて 聞きました

 僕のこの歌 聞いたなら
 頬すり寄せて 抱き寄せて
 「上手になった良い子だ」と
 ほめて下さる ことでしょう

2021/02/23

あの人の言の葉 松尾 巧

 海軍少尉 松尾 巧

 神風特別攻撃隊 第三御楯隊
 昭和20年4月7日
 沖縄沖にて戦死
 佐賀県出身 20歳


 謹啓
 御両親様には相変わらず御壮健にてお暮らしのことと拝察致します。
 小生もしごく元気にて軍務に精励致しております。

 今までの御無沙汰おわび致します。
 本日をもって私も再び特攻隊員に編成され、出撃致します。
 出撃の寸前の暇をみて、一筆走らせました。

 この世に生をうけて以来、十有余年間のお礼を申し上げます。
 沖縄の敵空母にみごと体当たりし、君恩に報ずる覚悟であります。
 男子の本懐、これに過ぐるものが他にあるでしょうか。
 護国の花と立派に散華致します。

 私は二十歳をもって君に身命をささげます。
 お父さん、お母さん、泣かないで、決して泣いてはいやです。
 賞めてやって下さい。

 家内揃って、何時までも幸福に暮らして下さい。
 私の小遣いが少しありますから、人に頼んでお送り致します。
 何かのたしにして下さい。

 近所の人々、親族、知人、小学校時代の先生によろしく。
 妹にも……。

 後はお願いします。
 では靖国へまいります。

 昭和二十年四月六日 午前十一時書 

2021/02/10

あの人の言の葉 伊賀 新太郎

 陸軍中尉 伊賀 新太郎

 昭和19年7月16日
 ルソン島北方海域にて戦死
 東京都新宿区出身 26歳

 
 お母さん、新太郎の大好きなお母さん。
 笑って下さい。
 決して泣かないで下さい。
 新太郎は堂々と闘ったのです。
 大部分はお母さんのお手柄であります。

 新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、新太郎を励まして下さったのです。
 美しい名も無き野花の真中に打ち伏すとも、キラキラと銀色に輝く南海の藍の底に眠るとも、新太郎はお母さんの懐の中に眠るが如く安らかに眠ります。
 何も話をしなくともお母さんのお顔を見て居るだけで新太郎は何時も満足でありました。

 御心尽くしのお守り札は最後まで私の傍にあります。
 何も書けません。
 お母さん、新太郎の大好きなお母さん、たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。
 強く明るく生きて下さい。
 お祈り致します。
 伯父様の後に続きます。

 私共の後に続く者の強き足音が聞こえて参ります。
 日本は必ず勝ちます。

 大日本帝国万歳
 天皇陛下万歳

2021/01/21

あの人の言の葉 川越 勇

 海軍少尉 川越 勇

 昭和20年4月14日
 朝鮮・延海にて戦死
 宮崎県東諸県郡国富町出身 36歳


 紀子さんへ  父ちゃんより

 紀子さんは小さくて良くわからないかも知れないが、父さんは海軍軍人として天皇陛下様の御為、悦んで死ねます。
 父さんはこんな嬉しい事はありません。

 父さんは何時も忙しい体で、紀子を可愛がる事が出来ませんでしたが、ゆるして下さい。
 これから父さんはいなくても、一番良いお母様やオヂイ様オバア様方の教えを良く聞いて立派な人になって下さい。

 そうして大きく成ったら、お母様にたくさん孝行をして下さいね。
 貴女方はお父さんの子として、決して恥ずかしくない人になって下さいね。
 お願いします。

 そして、お母様達と靖国神社に会いに来て下さい。
 お父さんは九段のお社でお待ちして居ります。
 お会いしたらお約束のお土産を上げましょうね。

 紀子達には、良いお母様が居ます。
 さびしがらず立派な強い日本人になって下さい。

 お父さんは何時も貴女達をお守りします。
 御幸福を祈ります。
 御機嫌宜しく。

2021/01/10

あの人の言の葉 山下 光雄

 陸軍兵長 山下 光雄

 昭和19年4月6日
 ソロモン諸島にて戦死
 三重県三重郡菰野町出身 37歳


 まい日 元気で学校へ通って居ますか
 学校では先生のおっしゃることをよく聞いてよく学び元気で遊びなさい
 お家へかへったら かならず其の日先生からおしへていただいたことをよく習っておきなさい

 おばあさんやお母さんの言いつけをよく守りなさい
 お父さんが居なくともよく勉強すれば 中学校へ入れてくださいますから
 そしてりっぱな日本人になりなさい

 お父さんはお前と四日市の駅でわかれて りっぱな兵隊さんになって居ます
 じきに戦場へ出かけてアメリカやイギリスの兵隊をみんなヤッツケてやります

 おとうさんが りっぱなてがらを立てて金しくんしやうをもらふのと
 穆がよく勉強して先生からほうびをもらひ級長になるのと きやうさうをしませう

 からだを大せつにして よくべんきやうをしなさい

 さよなら  父より

 穆君へ