中支派遣参謀部嘱託 黒沢 次男
昭和22年8月12日
上海にて法務死
栃木県大田原市出身 34歳
夕暮れが来ると私は今日だけはやっと死なずに居たと思う。
そして宵闇が迫る頃は明日の心構えをせねばならない。
朝が来ると着ているものを全部取り替えて素裸になって冷水で体を拭き清潔なものを身につける。
洗面と同時に洗濯、さあ今日は来るかと、机に向かってうわ言集を書く。歌を作る。
そして昼まであと二、三時間ある。
そして夕方を迎える。
こんな張り詰めた生活、満月に引き絞った様な心の緊張を保ちながら送る一日、私は幾日、幾十日、この生活を続けなければならないのだろう。
一日、一日の集積が人生であるとは言え。
この一瞬一瞬を積みて一日として生きている現在、この瞬間瞬間を刻む秒は私の生命に食い入って行く。
恐らく死の陰惨さのみに心を注いでいなくてはならないとしたら発狂してしまうだろう。
永遠の沈黙のみに戦慄しているならば窒息してしまうだろう。
恐れてはならない。
戦慄してはならない。
目先の現象にも心患わして迷う心。
見よ、十万年前の夕空もきっとこんなに美しくあったろう。
百年前の雲もきっとこんなに輝かしかったろう。
瞬く星、美しき月、可憐な虫の音、自然は我には少しも関わりはない。
泡沫の人生に悲しみ歎きて永遠を見得ざる我、この室に挿された梔子の花とてやがては散る。
然れども来る夏には再び花を開きて芳香を放つであろう。
昨夜のけらは死んでしまうかも知れないが新しいけらがまた昨夜と同じようにまた鳴いてくれるであろう。
我ら人間とて永遠に絶える事はあるまい。
再生を信じよう。
新生を信じよう。
理論も理屈もいらない。
この小さな梔子の花の美しい生命と、この毎晩鳴いてくれるけらの生命の根底が分かるまでは、人が生まれてくる生命の神秘が実証されるまでは、私は無条件で再生を信ずるより外はない。
これを否定する何ものもない。
息詰まるような苦しみはただ生の欲求がなせる業だ。
何番何番と、死の伝令の呼び出しが来れば、私は静かに再生の第一歩をこの監房の扉より踏み出すであろう。
その時は、絶対感のみが支配する。