2021/02/23

あの人の言の葉 松尾 巧

 海軍少尉 松尾 巧

 神風特別攻撃隊 第三御楯隊
 昭和20年4月7日
 沖縄沖にて戦死
 佐賀県出身 20歳


 謹啓
 御両親様には相変わらず御壮健にてお暮らしのことと拝察致します。
 小生もしごく元気にて軍務に精励致しております。

 今までの御無沙汰おわび致します。
 本日をもって私も再び特攻隊員に編成され、出撃致します。
 出撃の寸前の暇をみて、一筆走らせました。

 この世に生をうけて以来、十有余年間のお礼を申し上げます。
 沖縄の敵空母にみごと体当たりし、君恩に報ずる覚悟であります。
 男子の本懐、これに過ぐるものが他にあるでしょうか。
 護国の花と立派に散華致します。

 私は二十歳をもって君に身命をささげます。
 お父さん、お母さん、泣かないで、決して泣いてはいやです。
 賞めてやって下さい。

 家内揃って、何時までも幸福に暮らして下さい。
 私の小遣いが少しありますから、人に頼んでお送り致します。
 何かのたしにして下さい。

 近所の人々、親族、知人、小学校時代の先生によろしく。
 妹にも……。

 後はお願いします。
 では靖国へまいります。

 昭和二十年四月六日 午前十一時書 

2021/02/10

あの人の言の葉 伊賀 新太郎

 陸軍中尉 伊賀 新太郎

 昭和19年7月16日
 ルソン島北方海域にて戦死
 東京都新宿区出身 26歳

 
 お母さん、新太郎の大好きなお母さん。
 笑って下さい。
 決して泣かないで下さい。
 新太郎は堂々と闘ったのです。
 大部分はお母さんのお手柄であります。

 新太郎の行動の後にはお母さんの優しいお姿が何時も付いて居て、新太郎を励まして下さったのです。
 美しい名も無き野花の真中に打ち伏すとも、キラキラと銀色に輝く南海の藍の底に眠るとも、新太郎はお母さんの懐の中に眠るが如く安らかに眠ります。
 何も話をしなくともお母さんのお顔を見て居るだけで新太郎は何時も満足でありました。

 御心尽くしのお守り札は最後まで私の傍にあります。
 何も書けません。
 お母さん、新太郎の大好きなお母さん、たくさんの一人息子を国に捧げた人もあります。
 強く明るく生きて下さい。
 お祈り致します。
 伯父様の後に続きます。

 私共の後に続く者の強き足音が聞こえて参ります。
 日本は必ず勝ちます。

 大日本帝国万歳
 天皇陛下万歳