海軍大尉 古川 敬生
昭和20年4月21日
鹿児島県出水沖にて戦死
佐賀県唐津市浜玉町浜崎出身 25歳
妻への手紙
この頃、少し心に余裕が出来るとお前の事、生まれ来る子供の事が気になってならない。
どうか体にだけはくれぐれも気をつけてくれ。
最初九州の某基地に来た時、予定が急変して全員特攻隊を命じられ、今日か明日かと、出撃の日を待っていたが、毎日お前がゼリーを作ってくれた時の手紙を出して読んだり、お前の写真と、悦ちゃん(妹)の写真を出しては眺め、最初にして最後の死の出撃を待っていた。
しかし、自分で驚くほど、俺の心は澄み渡り、もう一人の俺がその澄み切った心の俺をしみじみと眺め直す感じだった。
そうする内、幸か不幸か命令と所属が変わり任務も変わった。
沖縄へは二度出陣した。
初陣も事なく済み、自慢するほどの手柄を立てないまま現在に及んでいる。
この前やってきた萩原にも、お前の事を聞いた。
しかし驚いてはいけない、萩原も来た翌る日の出陣に散って終わった。
人の命の儚さは、今更ながら唖然とするものがあるが、この頃は大分神経も太くなってきた。
お前も心を「太く」持って、待っていてくれ、必ず帰る。
お前が子供を安産するまではそう簡単に死なないつもりだ。
昭和二十年四月二十日 出水航空基地にて